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小春日和

先ほど、実家からハイチュウが届いた。



世の中数え切れないほどの食糧であふれているこの時代。


そのなかでなんであえてハイチュウなのだろうと小一時間考え込んでしまった。

だってそうでしょう。ハイチュウだよ。

このおなかがすいた男子大学生に敢えてのハイチュウだよ。何か陰に見え隠れする陰謀でもあるんだろうか。



母上はハイチュウでおなかを満たせと申されるているのだろうか。

いやいやいやいや(@^^)/~~~

牛丼のもととか、パスタとかなんかそこらへんのインスタントとかとてもたくさんの選択肢が世の中にはあふれているはずだ。

その中であえて「ハイチュウを思う存分食べなさい」と母はきっと思ったのだ。

その思考過程が私には解せない。

どうしても解せないのだ。

ただでさえ日ごろから金銭難で、白髪も生えてくるのではないかと思うほど悩んでいることを知っているはずなのに、

なんでハイチュウなのだろう。

皮肉っているのだろうか。

おまえごとき「ハイチュウで十分だ」と下手に見られているのだろうか。

しかし、それではあまりにもハイチュウに失礼ではないか。

ただでさえハイチュウは、「ぷっちょ」が飛ぶ鳥を落とす勢いで進出してきてからは、肩身の狭い思いをしているはずなのに。

どうしてハイチュウのせいにできよう。

ハイチュウは定期的に新しい味をだしてみたりして、少しでも、少しでも真新しさを維持しようと必死なのに。

それをどうして私たちごときが否定できるというのか。


ここで一つの考えが私を包み込んだ。


ハイチュウは実はとてもおなかを満たしてくれる食べ物なのではないだろうか。

ハイチュウはおなかを満たさないただのちゅーいんぐガムみたいな、しょうもないおやつでしかない。

というステレオタイプな考え方がそもそも、私の思考の幅を狭めてしまっているのではないか。

そうだ、そうなのだ。

そういうことだったのか。

ハイチュウにはそういう力があったのか。

それがここまできっと、ハイチュウという食べ物が日本中で食べられてきた一つの答えだったのだな。

今目の前にあるその圧倒的な存在を、あえて徹底的に懐疑してみると、

思いもよらない答えにたどり着くときがある。


そんなことに気付いた。ついに気付いてしまった。



ということで、


考えすぎたらおなかがすいてきたので、




実際に、食べてみた。




もぐもぐもぐ。もぐもぐもぐ。もぐもぐもぐ。

たくさんたくさん読書しながら食べました。


ああ、おなかいっぱい\(◎o◎)/!



・・にはならずに、おなかがいたくなりましたとさ\(◎o◎)/!

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苦しゅうない

苦しゅうない

苦しゅうないぞよ


ガス代、水道代、両ライフラインのまさかの「給水停止のお知らせ」を

受け取ったとき、私は唸った。

まさか両ライフラインにここまで追い詰められるとは。

泣く泣く今月の生活費を空っぽになるまで払い、

家路をたどる自転車の上で。

全部降りたい。寝転んでたい。

知っちゃいながら さあ行こう。


ライフラインってまさに生命維持線なわけだから、

そう簡単に怒らないと思ってたよ。

ここまで怒らせた自分が悪いのはわかってる。

まあ、払おうと思えばいつでも払えたんだけどさ。

コンビニに払込票持ってくとついつい他のものに手が言ってさ。

許しておくれよ。

まあ、仕方ないよ。

12月にお金使いすぎたんだ。ライフラインの引き落としことごとく拒否したんだ。だって使わなきゃならないときってのがあるじゃない。そのときに、使わなかったら、なにしてんの。って話でしょ。

使うべきときに使う。

そして、使った。

だから後悔してないよ。

でも、いきなり、なに。

水道もガスも両者に突然奇襲され追い込まれて、いきなりハルノートを突きつけられたら、

もう、全面降伏しかないじゃない。

無条件降伏するしかないじゃない。


ATMで、アメ公に銃突きつけられたまま有り金引き出した気分だよ。

さあ、このお金で、植民地解放してください。

もう、縛られるのはごめんなんだよー。


今日の朝まで、たしかにおれは松屋の牛メシ野菜セットをほおばっていたのに、

明日からは松屋に入っていくおじちゃんたちを恨めしそうにガラス越しに見る毎日なんだろう。

明日からのおれはきっと、落花生をほうばっているんだろう。

最終的にはコイツと一緒にヒマワリの種でもほうばろう。


落花生みたいな味がするんだろう。きっとそうだ。そうなんだ。

アメ公にガムをもらいたいな。チョコレートがほしいな。




明日、模試なんっちゃけど。

正直、まったくできる気がしないよ。

でも、まあ、がんばった。

パレート最適狙っていきます。

ケインズさん頼んだ。

ラスパイレスーーー(';')

one two three

It’s a wonderful worldIt’s a wonderful world
(2002/05/10)
Mr.Children

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ミスターチルドレンアルバム 「IT’S A WONDERFUL WORLD」 収録のこの曲。

このアルバム個人的には一番好きかも知れないレベルに名作だと思う。


そのなかでも、ひと際好きなのが、

「one two three」

なにがいいかって、メロディーラインと、その歌詞。

非常に秀逸で、アップテンポの曲ながら、

試験勉強中の身には非常に身にしみる。

高らかな望みはのっけから持ってない
でもだからといって将来を諦める気もない

ぬるま湯の冥利と分別を知った者特有の
もろく 鈍く もてあます ほろ苦い悲しみ♪


ここの歌詞はすごく自分にリンクしていて、なんだかこの高望みはしないけど、諦めるつもりもないんだよ
っていうこの感じが、このぬるま湯を知ってしまった者特有の現実的な感じがとても人間味があっていい。


夢だとかを追い続けろっていう、大それた歌詞よりも、なんだか現実味を帯びていて落ち着く。

客寄せ用の無数の風船が
気圧に逆らって散って行った
破裂寸前の自分の心境をそれとダブらせてみたりして


ここの使い方も非常にいい。
「自分の心境」と「風船の気圧への逆らい」を掛けるなんてうますぎて涙が出てくる笑



つづく。






選んだ道

どういうわけか毎日がモノクロになったみたい。


交わす言葉もなくただ、


すれ違うだけの人々


この世界で出逢ってる人たちのほとんどは


実は話すことも一生ないまま



ただすれ違うだけの小さいけれど大きな運命に左右されてる。



そんな毎日をモノクロとなずけた。


モノクロに存在する自分は

口を使うことを要しない。


起きて、家を飛び出し、モノクロの人たちと出会う。

でも、交わす言葉はなく、すれ違うだけ。

予備校に入り、いつもと同じ席に座り、


もくもくと机と自分にのみ対峙する。


まわりのモノクロの人たちもまた同じように

机と対峙してる。

そこまでの運命。そこまでの距離。

この差は縮まらない。


そしていつもと同じように同じ気持ちで席を立ち、

スターバックスでコーヒーを飲みながら一服する。


会話が耳に入ってくる。

「だからいってんでしょ!あなたといると、わたしがいきいきとできないの。なにをしたらいいかわからなくなるの!」

別れ話をしているカップルの話だろうか。

そんなことを言われても困るといった顔をしている♂の表情が目に入った。

テストの話をしている大学生。

もくもくと本を読む人。


同じような飲み物を飲み、同じような会話をしているのに、

近くても遠い距離。結局ここにいてもモノクロのままだ。


そしてカフェモカを一気に飲みほして


席を立った。


なんだか無性に寂しくなった。


口を使ったのはあくびくらいだろうか。

いや、ウーロン茶を飲んだ。コーヒーも。

音声を発しない日々。


こんな毎日をただ単純に繰り返す。


就活してる人、はやくおわらないかなー。がんばれーー。

こういうときに後輩がほしいなー笑

一日中会話の相手が、参考書ではORZ

一人暮らしの受験生ってのもなかなかきついな(';') 

♪選んだ道とはいえーーときに険しくもありーー
些細なことで僕等は泣き笑う♪

さすがに一日誰とも話さずに、それが何日か続くときっついなー。

飲みに生きて――。




たーだー目の前に並べられた 仕事を手際よくこなしてく

コーヒーを片手にして

いいさーー

誰が褒めるでもないけど

小さなプライドをこの胸に 勲章みたいにつけてー 



モノクロの僕の毎日に 増やしていく きれいな彩り

「彩り」にすくわれる\(-o-)

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さて今年の総括でもしてみたいと思います!今から書いてたら確実年越えるなこれ・・・・なんだかんだ今年は自分なりにとても頭を使った一年だったと感じています。あとよく動いたなという印象もありますゼミの勉強ではANDASとISFJという二つの団体に参加して非常に濃い勉強をしました特にISFJ。ひどい時には一週間に5回は集まってました落合家に入りびたり、落合主演の謎の映画まで見た記憶がありますw部門賞を頂き、・Ads by Google

懐疑

君の心の中に住む ムカデに噛みつかれた日

干からびかけていた僕の 明日が見えた気がした
                      スピッツ 「流れ星」




いま目の前にある現状・自己を疑ってみたくなったことはありませんか。

いま目の前にあるその存在、自己を徹底的に疑ってみたくて、仕方無い時がありませんか。

そんなときはフランスの哲学者デカルトのように、徹底的にその存在を懐疑してみることです。

その懐疑を通じて確実な真理に迫ろうとすることが必要です

今そこにある自分はいったいなにか。

今そこで己を苦しめる存在ははたして本当に絶対的なものなのか。

その徹底的な懐疑を通じて、その絶対的存在は世界の中のひとつの純粋な存在として抽象化される。

そうだ。そうやって暮らしていこう。



雪の中を自転車でかけぬけたー

白い粉が顔に降りかかり、前が見えなくなった。

人生って何だろうな

こうやって毎日が単調にすぎていく

さみしくもなるけどこうやって過ぎていくのだとも思う。

毎日飲みたくなるけど

毎日王将にいきたくなるけど

それはできない

お金がないから

でも、毎日は過ぎていく

命があるから

人生があるから

幸せがあるから
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